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スペイン・ハプスブルク家最後の王 カルロス二世

近親相姦という言葉がある。親族間による性行為を指す言葉だ。
常人には理解できないことであるが、中世ヨーロッパ社会において、近親相姦は自分たちの「神聖な血脈」を護るため、必要不可欠だと考えられていたことだと考えられていたようだ。もちろん、そんなはずはなく、同じ血族間での交配が繰り返されれば、遺伝子の欠落や劣化がおこり、正常な状態が保てなくなる。これは医学的にも立証されており、事実、動物実験では「奇形」が出現する割合が他と比較して高いということだった。これはもちろん、人間にもあてはまる。
ヨーロッパの貴族たちによる濁った「神聖な血脈」の具現者こそ、スペイン・ハプスブルク家最後の王となったカルロス2世であった。
カルロス2世は、スペインのみならず、ナポリ王国、シチリア王国、南イタリア、さらにはフィリピンやメキシコにも権力を持つ王であったが、王自身は極めて脆弱な虚弱者であった。
彼は生まれつき病弱であり、先端巨大症という先天性の障害によって租借困難で常に涎を垂らしてくらしており、てんかんや精神疾患、さらには知的障害も患っていたと伝えられている。そのため教育らしい教育を受けておらず、その様子はさながら「衣服を身にまとった動物」だったそうだ。もちろん、こんな状況であるからまともな政治活動などできるはずもなく、国の運営はもっぱら大臣たちが担っていた。彼のこの状況は大人になっても続き、2度結婚するが、性的に不能であったため子どもを作ることができず、さらには死んだ前妻の遺体を墓場から掘り起こして手元におくといった行動まで取るようになった。結局、彼は38歳でこの世を去るのだが、この早世も近親相姦の影響ではないかといわれている。
ヨーロッパ貴族の間では、近親相姦によって、他にも彼のような異常者が度々出現しており、「神聖なる血脈」など単なる幻想でしかないことを示している。

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世界一若い母親 リナ・メディナ

1933年、リナ・マディナはペルーのティクラポでこの世に生を受ける。これといって特徴のない、どこにでもいるごく普通の少女である。しかし、彼女の人生は、ある日を境に一変してしまう。
最初にその異変に気づいたのは彼女の両親だった。リナのお腹が異様に膨らんでいることに気づいたのだ。当時、リナはまだ5歳の少女であり、お腹が異様に膨れ上がるなど尋常ではない。両親はすぐに医師のもとへと駆け込み、診てもらった。
リナの異様なお腹を見て、医師はすぐに悪性の腫瘍であると考えたそうだ。しかし、診察してさらに驚いた。なんと、リナは妊娠していたのである。しかも発覚時、すでに妊娠7ヶ月という状態だったのだ。
当然、医師も両親もパニックになり、リナはすぐにペルーの首都リマに連れていかれ、そこで専門医の診察を受けることになる。もちろん、この専門医も驚いたことはいうまでもない。なにしろ子どもが子どもを妊娠しているという状況なのだ。なにがなんだかさっぱりわからなかったであろう。
しかし、妊娠7ヶ月ともなれば、すでに堕胎はできない。かくしてそれから1ヶ月半後、リナは帝王切開にて、無事に男児を出産することになる。5歳7ヶ月21日という世界最年少で。
しかし、ここで疑問が残る。それはリナの父親が誰であるか、ということだ。当初は父親による近親相姦が疑われ逮捕されたが、父親はこれを頑なに否定し、後に証拠不十分で釈放されている。また、父親に関してリナが語ったことはなく、これは彼女が幼すぎたため、性に対して理解できていなかったのではないか、と推測された。
生まれた子どもはその後、元気に成長したが、40歳で早世している。これが母親が幼すぎたことが原因によるものかは、いまも定かではない。

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ヒトラーが救ったユダヤ人 エドゥアルド・ブロッホ

ヒトラーがユダヤ人にしたことといえば何か? と問われた時、多くの人は次のように答えるだろう。虐殺、と。
まさに事実その通りであり、ヒトラー政権下においてユダヤ人は何百万人と殺害されている。その殺害方法は凄惨を極め、銃殺、絞首刑、ガス室送り、人体実験の材料、餓死、さらには生きたまま炎の中へとくべられて殺されたという記録も残されており、その凄惨さは間違いなく長い人類の歴史のなかでもトップクラスであったといえる。
しかし、そんな時代において、ヒトラーは、自らがユダヤ人虐殺を推進していたにも関わらず「ユダヤ人を救っていた」という矛盾に満ちた行動をとったことがある。
ヒトラーが救ったユダヤ人、それは医師のエドゥアルド・ブロッホである。彼はヒトラーから直々に「高名なユダヤ人」と称えられ、その命を救われている。
エドゥアルドとヒトラーの出会いは、ヒトラーの幼少期にまで遡る。当時、ヒトラー家では、役人を務めていた父親が早くに亡くなっていたこともあって大変貧しかった。そんななか、ヒトラーの母親のクララが乳癌で倒れてしまう。この時に救いの手を差し伸べてくれたのがエドゥアルドだった。エドゥアルドは当時としては破格の治療費でクララを献身的に診察し、その治療をおこなったのだ。残念ながらクララはエドゥアルド医師の治療もむなしく癌が原因で亡くなってしまうのだが、その様子をそばで見ていたヒトラーは大変、感謝したという。
そして時は流れ、ヒトラーはナチス党の党首となり、ドイツを掌握する。そして近隣諸国へと侵略を開始し、ユダヤ人の虐殺をはじめるのだが、この時、エドゥアルド医師に対してはゲシュタポに勅命をだして保護しているのだ。さらに彼は丁重に扱われ、1940年にはヒトラーの手引きによってアメリカへの亡命が許されている。これはヒトラーがおこなったことのなかでは極めて矛盾した異例といえた。
ヒトラーは、時おり人間くさい行動をとることがあり、それは彼が「悪魔」ではなく、ひとりの人間であることを示しているのかもしれないが、だが、彼のおこないは決して許されるものではないことは確かである。

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人類を破滅に導く兵器 細菌兵器

人類は様々なものを武器として戦ってきた。原始時代は石ころや棒きれであったりしたものが、時代を重ねるに連れ、研磨された黒曜石の武器となり、青銅製の剣や槍となり、鉄製の武具が登場し、そして火薬を使った鉄砲が発明され、戦車、戦闘機、戦艦が生み出され、さらには究極兵器とも呼ぶべき核兵器まで誕生させる。だが、人間は古来より、もっとも強力かつ有効的な兵器として、古く、そして新しい攻撃方法としての手段をもっていた。それが細菌兵器である。
細菌兵器の歴史は古く、古代ギリシャ時代には武器として使用されていたという記述がある。しかし、もっとも残酷な方法としてこれを駆使したのはモンゴル軍であった。
西暦1348年の頃である。当時、モンゴル軍は、軍を西へ西へと進めていた。そして要所であるジェノバの港町カッファへと到着したのである。このカッファを速やかに落としたかったモンゴル軍の将軍は恐るべき一手を打つ。投石器を使って大量の死体をカッファの町へと投げ込んだのだ。
この死体、ただの死体ではない。当時、黒死病として恐れられていたペストによって死んだ味方の兵士たちの死体である。当然、この死体を投げつけられたカッファの町は大混乱に陥った。ペストで死んだ死体は腐敗し、悪臭を放ち、その様相はさながら「呪い」で死んだかのごとく凄惨なものであったからだ。人々は逃げ惑い、カッファの町は陥落。そしてこの後、ペストはヨーロッパ全土へと広がりをみせ、6000万人ともいわれる人々の命を奪って行くことになる。
細菌兵器の歴史は続く。大西洋を横断し、新大陸へと到達したヨーロッパ人は、鉄製の武器や鉄砲で猛威を振るうと同時に、自分たちが気づかないうちに保菌していた天然痘や梅毒を広め、新大陸の人々を殺していった。1763年にはイギリス人のジェフリー・アマート将軍によって天然痘菌によって汚染された毛布やハンカチがインディアンの村に配られ、多くの死者をだすにいたった。
第二次世界大戦では、ナチス・ドイツが生物兵器開発を進めるべくユダヤ人を使って人体実験をおこない、日本軍の731部隊でも来るべきアメリカ軍との決戦に備えて大量の細菌兵器が用意されていた。
そして現在、ジュネーブ条約によって細菌兵器の使用は禁止されているものの、アメリカ、ロシアを始めとした各国で大量の細菌兵器が眠りについており、いつでも猛威を振るえる状況におかれている。その量は、人類を何百回と絶滅させても、まだ余る量だといわれている。
将来、世界規模の戦争が勃発した際、人類を終焉へと導くのは、核兵器ではなく細菌兵器であるかもしれない。

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世界の王を名乗った男 インカ皇帝パチャクティ

中世ヨーロッパでペストが猛威を振るっていた頃、大西洋を隔てた新大陸では、ひとりの男が自らを「世界の王」と名乗り、巨大な帝国を建国するため侵略の戦いを仕掛けていた。彼の名はパチャクティ。後に新大陸で最大の版図を誇ることになるインカ帝国の若き国王である。
彼が台頭するきっかけとなったのは、インカにとって最大の敵であるチャンカ族による侵略戦争であった。チャンカ族は勇猛なる戦士の一族である。血に餓え、人を殺すことにいささかの躊躇いももたない彼らは、自分たちが殺した敵の骨で作ったアクセサリーを身にまとい、さらにはミイラ化した死者の王を陣頭に掲げることによって戦意を高揚させ、インカ征服を目論み攻めてきたのだ。その軍勢はインカの軍勢よりも遥かに強大であり、その軍勢に恐れをなしたパチャクティの親や兄弟たちは逃げ出してしまったほどだ。
しかし、勇猛果敢な戦士であるパチャクティは恐れを知らず、味方を率いてチャンカ族との死闘を繰り広げた。それは石器や投石を使った極めて原始的な戦いであったが、熾烈を極め、多くの死傷者をだす戦いであった。
死を恐れぬチャンカ族の戦士に対し、パチャクティもまた死を恐れずに戦った。王である前に戦士である彼にとって、死は恐れるものではなく、むしろ望むものでさえあったからだ。パチャクティは多くのチャンカ族の戦士を倒し、そしてついには彼らのシンボルであった死者の王を倒すことにも成功し、チャンカ族を撃退することに成功した。
これをきっかけとしてパチャクティの地位は確固たるものとかし、その勢力は拡大の一途を辿った。その版図は現在のチリ、ペルー、ボリビアの全土に及び、さらには彼の時代にあのマチュピチュが建てられたほどの一大帝国となったのである。
しかし、彼が築いた大帝国は、たったの100年ともたなかった。中世の暗黒時代が過ぎ去り、新たなる利益と活路を見い出すべく、欲望の塊と化したヨーロッパ人がやってきたからである。彼らにより、インカ帝国は奪いつくされ、破壊しつくされることとなる。

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