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人類を破滅に導く兵器 細菌兵器

人類は様々なものを武器として戦ってきた。原始時代は石ころや棒きれであったりしたものが、時代を重ねるに連れ、研磨された黒曜石の武器となり、青銅製の剣や槍となり、鉄製の武具が登場し、そして火薬を使った鉄砲が発明され、戦車、戦闘機、戦艦が生み出され、さらには究極兵器とも呼ぶべき核兵器まで誕生させる。だが、人間は古来より、もっとも強力かつ有効的な兵器として、古く、そして新しい攻撃方法としての手段をもっていた。それが細菌兵器である。
細菌兵器の歴史は古く、古代ギリシャ時代には武器として使用されていたという記述がある。しかし、もっとも残酷な方法としてこれを駆使したのはモンゴル軍であった。
西暦1348年の頃である。当時、モンゴル軍は、軍を西へ西へと進めていた。そして要所であるジェノバの港町カッファへと到着したのである。このカッファを速やかに落としたかったモンゴル軍の将軍は恐るべき一手を打つ。投石器を使って大量の死体をカッファの町へと投げ込んだのだ。
この死体、ただの死体ではない。当時、黒死病として恐れられていたペストによって死んだ味方の兵士たちの死体である。当然、この死体を投げつけられたカッファの町は大混乱に陥った。ペストで死んだ死体は腐敗し、悪臭を放ち、その様相はさながら「呪い」で死んだかのごとく凄惨なものであったからだ。人々は逃げ惑い、カッファの町は陥落。そしてこの後、ペストはヨーロッパ全土へと広がりをみせ、6000万人ともいわれる人々の命を奪って行くことになる。
細菌兵器の歴史は続く。大西洋を横断し、新大陸へと到達したヨーロッパ人は、鉄製の武器や鉄砲で猛威を振るうと同時に、自分たちが気づかないうちに保菌していた天然痘や梅毒を広め、新大陸の人々を殺していった。1763年にはイギリス人のジェフリー・アマート将軍によって天然痘菌によって汚染された毛布やハンカチがインディアンの村に配られ、多くの死者をだすにいたった。
第二次世界大戦では、ナチス・ドイツが生物兵器開発を進めるべくユダヤ人を使って人体実験をおこない、日本軍の731部隊でも来るべきアメリカ軍との決戦に備えて大量の細菌兵器が用意されていた。
そして現在、ジュネーブ条約によって細菌兵器の使用は禁止されているものの、アメリカ、ロシアを始めとした各国で大量の細菌兵器が眠りについており、いつでも猛威を振るえる状況におかれている。その量は、人類を何百回と絶滅させても、まだ余る量だといわれている。
将来、世界規模の戦争が勃発した際、人類を終焉へと導くのは、核兵器ではなく細菌兵器であるかもしれない。

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世界でもっとも汚い兵器 ダーティー・ボム

おおよそ無秩序と思える戦争にも、近代においては幾つかのルールがある。国家自衛のための戦い、安全保障理事会において認定された「国際社会の平和と秩序に対する脅威」への排除行動、地域的安全保障枠組みにおける強制行動、そして過剰な苦痛を伴う不適切な軍事行動を禁止する原則などだ。戦争行動をすべからく「悪」とみなす者にとっては実に不快な内容だが、それでもルールがあることは大切である。さもなければ第二次世界大戦のように無差別な殺戮の嵐が吹き荒れるだけなのだから。
特に、現代の戦争において重要視されているのが「過剰な苦痛を伴う不適切な軍事行動を禁止する」原則だ。これは戦闘に参加しない民間人を対象としており、特にとある兵器類の使用を縛るために用いられている。
それがいわゆる大量破壊兵器といわれるもので、現在、これに該当する兵器は四種類ある。生物兵器、科学平気、核兵器、そして放射能兵器と呼ばれるものだ。
放射能兵器は核爆発ではなく核物質の撒布を目的とした兵器であり、そのため「汚い爆弾(ダーティー・ボム)」と呼ばれる。この兵器、核爆弾のように効果に即時性がなく、国家間の戦争においては役に立たない兵器とみなされ、現在のところ、実戦兵器として配備している国はない。しかし、この兵器の恐ろしさは放射能物質さえ入手できれば製造が容易であるため、テロリストが使用することが懸念されているのだ。現に2002年にアルカイダに心酔したアメリカ人が自国でのテロを計画し、逮捕されている。もし、この兵器が都市部で使用された場合、即時的な影響は少ないとはいえ、放射能物質はコンクリートやガラスなどの化合物と容易に結合してしまうため、放射能の影響が長期間にわたって続くのである。つまり、都市は無傷でも、放射能の影響で人が住めなくなってしまう可能性があるのだ。
世界中でテロの脅威が拡散している現在、ダーティー・ボムは、明日にでも使用されるかもしれない。

アレキサンダー大王の常備軍と長槍部隊

 人間は古来より戦いに明け暮れてきた。
 自らの正義を掲げ、あるいは利益を求め、自分たちが信じる神の正義のために、あるいは人種的差別によって、敵とみなした者たちを血祭りにあげるべく、闘争の渦中に身を投じてきた。そしてそのつど、人間は敵に勝つために、戦術や戦法を編み出し、新たなる武器を開発し、新兵器を投入し、戦いの歴史を刻んできた。
 ヒッタイトがエジプトを征服するに活用した鉄製の武器、秦の始皇帝の中国大陸制覇に寄与した弩、ユーラシア大陸を蹂躙したモンゴル帝国の騎馬、弓矢を凌ぐ殺傷能力を有する鉄砲、世界最初の全面戦争では機関銃や戦車、戦闘機や潜水艦、毒ガスが開発され、続く第二次世界大戦では世界をも滅ぼす可能性を秘めた原子爆弾が開発された。人間は戦いに勝つためにテクノロジーを開発してきた。
 古代世界において、アレキサンダー大王が活用した常備軍と長槍部隊、当時の戦争形態を覆す画期的なものであった。
 アレキサンダー大王は、古代ギリシャの小国マケドニアに生まれた。幼少時代、学者のアリストテレスに学問を学び、そこで彼はギリシャ文明がいかに優れているかを知り、その優れた文明を世界に波及させたいという野心を抱くようになる。
 父王の暗殺をきっかけに、20歳の若さでマケドニアの支配者を継いだアレキサンダーは、全ギリシャへの覇を唱えんがため力を蓄える。それは常備軍の設立であり、長槍部隊の創設であった。
 当時、兵士といえば、兼農の兵士が主であった。そのため、軍事行動は休農期間におこなわれることが多かったのだが、マケドニアはいつでも戦争をおこせるよう職業軍人という制度を設けたのだ。そしてもう一つ設けたのが、5メートルを越す長い槍で武装した長槍部隊だった。前方四列が長い槍を前面に突き出し、そのまま進んで敵兵を血祭りにあげる。仲間がやられても隊列を乱すことなく進み、敵を串刺しにする。これがアレキサンダー大王の戦法だった。敵軍にとっては極めて恐ろしい敵であったに違いない。
 この戦法を駆使してアレキサンダーは、各地のギリシャ各地のポリス(都市国家)を陥落させ、攻め滅ぼし、ギリシャ世界の支配者となる。しかし、彼の野望はそこで留まらず、ギリシャの仇敵であったペルシャ帝国やエジプト、さらにはインドまで覇を唱えることになる。特にペルシャ帝国のダレイオス三世との最終決戦では、ペルシャ全土から集められた20万を越す多民族のペルシャ軍を、この長槍部隊を活用することによって撃ち破った。長槍部隊を前面に展開することで敵軍の疲弊と混乱を誘い、最後は騎馬隊の突撃によってペルシャ軍を倒したのだ。
 アレキサンダー大王は当時の世界観で世界の半分を支配するにいたり、その名を歴史に刻んだ。
 しかし、大王が30代の若さで急死した後、彼の妻子(妻はペルシャ人)は部下達の手によって暗殺され、彼の親族もまた戦争の中で殺害され、一代で築きあげた巨大帝国は蜃気楼のごとく滅亡することとなる。

アメリカとソビエトの代理戦争 朝鮮戦争

 1950年6月25日、北緯38度線にて北朝鮮軍が砲撃を開始したことで戦争の火蓋がきっておとされた。戦争開始の30分後には北朝鮮軍が約10万の兵力でもって38度線を突破し、韓国の蹂躙を開始。宣戦布告はなく、油断していた韓国軍は一瞬にて撃破され、6月28日にはソウルが陥落した。この時、撤退する韓国軍が漢江にかかる橋を避難民ごと爆破したため、漢江以北に多数の軍部隊や住民が取り残される事態となった。
 来るべき戦争に備え、訓練を重ね、装備を強化していた北朝鮮軍は強大であり、貧弱な装備と士気の低い韓国軍は各地で相次いで敗れた。また、急いで駆けつけたアメリカ軍も準備が不十分であり、北挑戦軍を相手に太田の戦いで奮戦するも、大敗を喫することとなる。
 国連軍は洛東江戦線まで追い詰められ、パニックに陥った韓国軍は、目に見えぬ敵の恐怖に怯え、保導連盟員や共産党関係者などの政治犯およそ20万人を虐殺する暴挙にでた。もはや北朝鮮による朝鮮半島統一は目前かと思われたが、ここで北朝鮮軍に予想外のことがおこる。戦線があまりにも急激に延びてしまい、物資の補給や兵員の補充が間に合わず、進軍を停止する羽目になったのだ。この間、わずか三日。このわずか三日という時間が、アメリカと韓国に反撃を許す結果となる。
 9月15日、アメリカ軍司令官ダグラス・マッカーサーによって計画された仁川上陸作戦が実施。アメリカ軍を筆頭とする国連軍による反撃が開始された。北朝鮮軍は補給路を破壊され、物資や兵員の補充ができなくなり混乱状態に陥る。さらには釜山周辺の戦闘で大きく消耗し、敗退。敗走を余儀なくされる。そして9月28日、国連軍によってソウルが奪還された。
 10月1日、北朝鮮の敗北に気をよくした李承晩は、これを祖国統一の機会と捉え、独断で韓国軍に38度線の突破を命じる。韓国軍の北進に対し、北朝鮮の友好国であった中国が反応する。かねてより中国は、アメリカ軍が38度線を越えれば反撃すると宣告していたが、それが現実のものとなったのだ。中国は志願兵という名目で参戦し、戦争は一気に泥沼化の様相を挺してゆく。
 中国軍は11月に入ると国連軍に対し大攻勢を仕掛け、アメリカ軍やイギリス軍を撃破して南下を続けた。中国軍の早期介入を予測していなかった国連軍は相次いで敗れ、占領していた平壌を放棄して38度線より南まで後退する羽目になった。
 そして1951年1月4日、ソウル再び陥落。ソウルの主権者はこのわずかな間にまたも変わることとなった。
 中国軍は参戦後、日中戦争や国内内戦で培った経験と人命を軽視した戦術によって国連軍を圧倒し、優勢を保っていたが、やがてそれらの戦術にも限界がくる。攻撃が鈍りはじめた中国軍に対し態勢を立て直した国連軍が反撃。3月14日にソウルを再奪還したものの、その後、38度線を挟んで膠着状態に陥る。疲弊に疲弊を極め、戦いどころではなくなったのだ。
 その後、1951年6月23日にソビエトの提案によって停戦が模索され、1953年7月27日、板門店にて休戦協定が結ばれ3年に渡って続いた朝鮮戦争はこれにて一時の終結となる。
 戦線が絶えず移動を続けたことにより、朝鮮半島各地で激しい地上戦が繰り広げられた。そのため、多くの都市が戦火に包まれ、一般市民にも多数の死者が出る結果となった。
 犠牲者の数は300万人を超えており、これは世界史における5番目に犠牲者が多い戦争であった。

アロー戦争(第二次アヘン戦争)

麻薬の取締りを理由に他国へと侵略戦争を仕掛けた国は、歴史上、唯一イギリスだけであろう。中国との貿易赤字に苦しんでいたイギリスは、茶や絹を輸入する代わりに麻薬であるアヘンを密輸することによって大量の銀を手に入れ、商品だったアヘンを没収されて破棄されるとそれを理由にして中国を攻撃して侵略を拡大した。これが世に伝わる麻薬戦争・アヘン戦争の顛末である。
このアヘン戦争にはまだ続きがある。
アヘン戦争後、中国・清は長江河口以南でのアヘン貿易を黙認していた。これは中国にとっては極めて深刻な問題であった。アヘンによる麻薬汚染は中国全土に拡大し、巷には麻薬中毒になった貧民が溢れ、役人や軍人にも汚染が及び、国全体の国家機能が低下しつつあったのだ。こんな状況だから経済も慢性的な不況に陥っており、住民の間では外国人排斥運動が高まって広州にある英国商館が焼き討ちに遭うという事件まで発生する有様だった。中国とイギリスを初めとする欧米列強の対立は日増しにその深刻の度合いを増しており、幾度か交渉や折衝がもたれたが両者のズレは増すばかりであった。そんな最中におこったのが「アロー号事件」である。イギリス船籍だった中国船アロー号が中国の役人によって拿捕されたのだ。この船、実はアヘンの密売船であり、大量のアヘンが押収された。これをきっかけにイギリスが清に噛み付いた。
イギリスは中国の行為は不当だと抗議したのだ。しかもアロー号に掲げられていたイギリスの国旗を引きずり下ろし、海に捨てたのは国辱だとして、最終的には戦争を吹っかけたのである。。だが事件当時、アロー号の船籍登録はその有効期限が切れており、すでにイギリスの船ではなかった。しかも国旗も実は掲げられておらず、役人による逮捕もまったくの合法だった。イギリスのやり方は、いまでいう「汚い」のひと言に尽きる。はたしてこの行為のどこが「紳士の国」の行為なのだろうか。
イギリスはフランスと手を組み、清を攻撃する。一時はモンゴル人将軍セルゲンリンチン率いる軍に敗れるなどしたが、戦争勃発の翌年には大艦隊と大軍を率いて清軍を各地で撃破し、北京へと進軍した。そして清国随一の美しさを誇っていた離宮・円明園で略奪と放火を働き、貴重な工芸品を破壊し、金銀や毛織物を略奪してまわったのである。失笑すべきは略奪を働いたフランス軍と放火したイギリス軍の行為を双方が非難したということである。これを「目くそ鼻くそを笑う」という。
その後、さらなる不平等条約へと進化した「北京条約」が結ばれ、中国は完全に欧米列強に屈服した。中国がこの苦渋の歴史から解放されるには、これからさらに100年の時間を必要とする。
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