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日本国家存亡の危機 白村江の戦い

日本の歴史において外国による国家存亡の危機は何度かある。世界最強の騎馬軍団を従えた巨大帝国・元の襲来、初の白人種との全面戦争となった日露戦争、そして太平洋を隔てておこなわれたアメリカとの総力戦などなど。だが、古代日本において、日本という国が根底から消滅させられかねない外国との戦いがある。それが白村江の戦いである。
白村江とは当時の朝鮮半島の地名である。6世紀から7世紀当時、朝鮮半島では高句麗、新羅、そして百済という国が半島の統一を目指して群雄割拠する戦国時代であった。日本はこの頃、倭国と呼ばれ、朝鮮半島の一角を占める百済と友好関係にあった。戦乱が続く朝鮮半島の情勢は日増しに悪化の一途を辿っていき、その情勢の変化を倭国も敏感に感じ取っていた。新羅を支援するため、大国・唐が動き始めていたからである。
そして倭国の不安は現実のものとなった。660年、百済が唐・新羅連合軍に敗れ、滅亡した。生き残った百済の臣たちが友邦国であった倭国に落ち延び、倭国に救援を求めたのである。倭国としても悪化する半島情勢に手をこまねいたままではいずれ戦乱の火種が自国にも及ぶかもしれない。火種が業火となる前に手を打つべし。その声が大半を占めるようになり、ついに倭国は半島への出兵を決める。こうして倭国にとって運命の決戦が開始された。
朝鮮半島へと向かうため編成された倭国軍の総兵力5万を超えた。この当時、これほどの兵力を倭国が動員したのは初めてのことであった。だが、敵である唐・新羅連合軍は倭国軍をはるかに凌駕する兵力を誇っていたのである。具体的な兵力総数は不明だが、幾つかの記録によると、最低でも15万を越す兵力があったと推定される。これは単純に倭国軍の三倍であった。
戦いは661年に始まり、663年まで続く。倭国軍は半島にて海で、そして陸で、唐・新羅連合軍を相手に激戦を繰り広げ、そして敗北した。所々の戦いでは勝利したものの、大国・唐の圧倒的な軍事力の前には歯が立たなかったのである。特に白村江河口においての損害が極めて大きく、この大敗が勝敗の決定打となった。敗北した倭国軍は朝鮮半島から撤兵し、百済は完全に滅亡した。
この戦いの結果に倭国は震撼した。倭国は朝鮮半島での権益を失っただけでなく、唐の報復により倭国本土が侵略されかねない危険におちいったからだ。倭国は国家防衛のために対馬や大宰府、瀬戸内海に無数の砦を築き、防人と呼ばれる兵士たちを配備した。さらには国防体制・政治体制の変革が迫られ、その過程において国号も倭国から日本へと変更される。だが、幸いにも唐軍は倭国まで侵攻することなく軍の侵攻を朝鮮半島内でおさめ、支援していた新羅による朝鮮半島統一が成し遂げられると軍を引き上げていった。これは日本にとっては極めて幸運な出来事であったといえよう。
こうして古代日本最大の危機は終わったのである。
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