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扶清滅洋 義和団の乱

古来より東方世界にて君臨していた大国・中国。しかし、清の時代、中国はイギリスやフランスなど外敵による脅威にさらされ、崩壊の危機に瀕していた。アヘン戦争やアロー号事件などを経て中国は半ば欧米の植民地にされかけていた。それでもまだ「眠れる獅子」と恐れられ、東方での大国として地位を保っていたのだが、不幸なことに、日本という島国に負けてしまったことで崩壊に拍車がかかった。日清戦争において大敗した清国を、欧米列強は「太った豚」とみるようになり侵略を本格化させたのだ。
この欧米列強の侵略に対して立ち上がったのが秘密結社「義和団」を中心とする農民たちであった。彼らは「扶清滅洋」(清を助け西洋を滅ぼす)を唱えて外国人排斥運動を開始。運動の規模は瞬く間に膨れあがった。最初はごく少数だった人数も、時間の経過と共にその人数を増してゆき、最終的には20万人を超すまでにいたる。そしてこの群集団は、外国人を排除するためについに北京への入城を果たしたのである。
北京に入城した義和団は猛威を振るった。多数の外国人が襲われ暴行を受け殺害された。キリスト教徒の信者であれば外国人だけでなく中国人に対しても酷い暴力がくわえられた。外来物の商品を扱う店舗も破壊され、外国製の鉄道も攻撃対象として次々と襲われた。一部の外国人たちは公使館に立てこもって抵抗したが、所詮は多勢に無勢である。日本公使館の書記官だった杉山彬が殺害され、ドイツ公使だったクレメンス・フォン・ケッテラーも殺された。他の国の公使館でも多数の死傷者がでており、各国の公使館は2ヶ月におよぶ籠城戦を余儀なくされた。これほどまでの惨事になったにも関わらず、清政府は義和団を止めようとせず、むしろこれに便乗する形で欧米列強に宣戦布告したのである。清としてはこの機に欧米列強を中国から追い出したかったのだろう。だが、この選択が最悪であった。
義和団とそれに伴う清政府の対応に欧米列強が黙って引き下がるはずがない。義和団を鎮圧するため、そして清政府を叩き潰すために、イギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア、そして日本が連合して軍隊を派遣してきたのである。特に日本は8000人という大軍を派遣した。
そして戦いが開始され、清軍は各地で大敗。義和団もおびただしい数の犠牲者を出して敗北した。近代兵器で武装した連合軍に対し、昔ながらの剣や槍、旧式の銃や大砲で武装した清軍と義和団は太刀打ちできなかったのである。
この戦いによって北京は占領され、紫禁城をはじめとする数々の秘宝が略奪された。歴史的・文化的な建築物も数多く破壊され、そして火がつけられて灰にされた。清王国の支配者だった西太后は貧しい庶民に扮して北京から脱出し、多数の責任者が自殺・または処刑された。そして清国には多額の賠償金が課せられ、様々な権益が奪われ、不平等な条約を結ばされた。清国は国としての体裁を保ったまま植民地とされ、やがて滅びる滅亡する。義和団事件は中国の変革を促す大きな事件であったといえよう。
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