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人間の鎖 バルト三国独立運動

エストニア、ラトビア、リトアニア――「バルト三国」の通称で知られるこの三カ国は、第二次大戦以降、アメリカと並んで世界に屹立していた超大国であったソビエト連邦の支配下にあった。当時は資本主義陣営と社会主義陣営が競う冷戦の時代である。ソビエトは社会主義陣営の長として、やはり資本主義陣営のアメリカと競い合っていたのだが、度重なる軍備拡張、社会主義経済の行き詰まり、はてはアフガン戦争の泥沼化によって弱体を続け、ついにはその巨体を維持できなくなる。
そんなソビエト末期の中で発生したのがバルト三国での独立運動であった。
バルト三国では80年代中旬から独立を求めた集会がそれぞれの国の首都でおこなわれていたが、規模は小規模であり、また治安当局者の圧力によって潰されている。1987年には極めて規模の大きな集会が決行されたが、当局の強行によって逮捕者まで出る騒ぎとなり、強制的に解散させられて潰されている。
しかし、バルト三国の人々は独立を求めて止まず、諦めなかった。
そしえて1989年8月23日、共産党当局の許可を得て、容易周到な計画がなされて「人間の鎖」による独立運動がおこった。エストニアからリトアニアにいたるまで、総距離600キロメートルに及ぶ道のりを、200万人もの人々が手を繋ぎ、バルト三国の一体感を訴えたのだ。この独立運動によってバルト三国のソビエトからの独立は一気に進むことになる。
ソビエトはバルト三国の分離・独立の動きを阻止するため、ラトビアやリトアニアに軍事介入をする準備を進め、実際に両国に軍部隊を派遣して流血の惨事「血の日曜日事件」などを起こすが、バルトの人々の独立への炎を消すことはできず、西側諸国からの強い抗議や非難の声を受け、バルト三国からの撤退を余儀なくされる。そして1991年9月6日、ソビエト国家評議会は三国の独立を承認することになる。
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