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新選組局長近藤勇の純愛物語

新選組といえば幕末の京の治安を守るべく結成された武装集団の名称であり、幕府を守るため、官軍(後の明治政府)と激しい戦いを演じている。そしてその非業の命運と相まってその人気はいまだ衰えることなく続いており、小説、漫画、演劇、さらには大河ドラマにいたるまで、数多くの題材として取り上げられ、いまだ人々に親しまれ続けている。
その新選組の局長といえば、いわずと知れた近藤勇である。武蔵の国出身で、剣の道に入ってからは人一倍修行に励み、まだ十代の頃に強盗に押し入った盗人を退治した、というエピソードも残されている。腕っ節だけでなく、努力家で、また度胸も人一倍あったことから、後の師匠である近藤周斎に気に入られ、彼の所へ養子に入って「近藤」の性を名乗るにいたる。
さて、この近藤勇だが、ある時、結婚の話が持ち上がり、3人の配偶者候補を紹介された。3人のうち、2人は美女だったが、最後の1人は容姿の悪い女性だったといわれている。普通の男性であれば迷うことなくブスを結婚の候補から除外し、2人の美女の中から結婚相手を見つけようとするだろう。しかし、近藤は違った。彼は美人ではなく、容姿の悪い女性を花嫁として選んだのだった。
これには理由があって、近藤は剣の師として何人もの弟子を育成していたのだが、その道場生たちの目を惑わせてはいけないと考え、容姿の悪い女性を選んだのだった。武人としての考えに基づいた彼らしい考えといえよう。
さて、容姿が悪いということで妻に選ばれた女性・ツネだったが、彼女はこのことを知っており、それでも近藤のことを愛していたという。ふたりの間には子どももできた。しかし、歴史は残酷であり、ふたりが結婚してまもなく、近藤勇が浪士隊(後の新選組)結成に伴って京都へと行くことになったため、結婚生活は極めて短かったといわれている。そして史実の通り、近藤勇は戦いに敗れ、処刑された。
近藤勇の死後、ツネの元には縁談の話が何度か持ち上がったものの、「二夫には従いません!」と頑なに拒み続け、生涯に渡って近藤勇を愛し続けたそうだ。幕末の愛のひとつのエピソードといえよう。

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勝海舟 野犬に睾丸を食われかけ・・・・・・

勝海舟といえばいわずとしれた幕末時代の偉人である。江戸幕府の中心人物として活躍し、海軍の創設、咸臨丸の艦長として日本人として初めてとなる太平洋横断に成功しただけでなく、明治維新の際には西郷隆盛と話し合いの場を持ち、江戸城の無血開場に成功た功績でしられている。もし、彼の説得がなければ、江戸では壮絶な市街戦が予想され、江戸の町は戦火に包まれ、殺戮がおこなわれていたであろうといわれている。
そんな彼には幼少時にあるエピソードがある。それは男性であれば想像を絶するような悲惨で凄惨なエピソードだ。
1831年、当時9歳だった勝海舟は勉学に励むため、近所の塾に通っていた。そしてある日、その道中にて、彼は野犬と遭遇したのである。現在でこそ野犬という存在はほとんど見かけないが、江戸時代、野犬の存在は日常的であると同時に、危険な存在でもあった。野犬に遭遇した勝海舟は、恐ろしさのあまりその場に座り込んでしまう。そこへ、野犬が猛然と襲いかかり、なんと彼の股間を思いっきり噛んだのだ。その傷は凄まじく、診察した医師によると、「袋」が破れ、「中身」が見えていたほど重傷だったという。医師はすぐに縫合したが、付き添う父親には「今夜限りの命かもしれない」と伝えるほどだったそうだ。
コレに対し父親・小吉は、近所の寺へと通い、毎晩のように願掛けの水浴びをし、さらには金比羅様に裸まいりをして息子の回復を願ったという。その願いが叶ったのか、2ヶ月後には勝海舟は回復し、立って歩けるほどになったという。
もしこの時勝海舟が死んでいたらどうなっていたであろうか。もしかしたら日本の夜は開けず、暗黒へと突入していったかもしれない。そう考えれば、父親の願掛けは息子だけでなく日本の歴史をも救ったということになる。
ちなみに、勝海舟は妻や妾の間に合計で9人もの子どもがいることから、睾丸の機能は無事であったと推測できる。

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ゲリ・ラウバル アドルフ・ヒトラーを本気にさせた姪

壮年期にさしかかった叔父が、ひょんなことからみずみずしい若さを持つ自分の姪に恋をしてしまう。しかし、家族や血のつながりに悩み、葛藤する・・・・・・という物語は、フィクションにおいてもノンフィクションにおいても時々ある話である。かの有名な独裁者、アドルフ・ヒトラーと、その姪であるゲリ・ラウバルもそんな一組であった。
 ゲリ・ラウバルは、ヒトラーの異母姉アンゲラ・ヒトラーの第二子として生まれ、通称「ゲリ」と呼ばれていた。彼女の父親は8歳のときに死亡し、以来、母親と兄と妹の三人で生活していたのだが、母親がヒトラーの身の周りの世話をするようになってから、彼女は叔父と緊密な生活を送るようになる。
 ヒトラーはこの少女を溺愛しており、腹心のホフマンに「私はゲリを愛している」と述べた他、秘書には愛人のエヴァ・ブラウンと対比させ、「エヴァは好ましい女性だが、私の生涯で本当に情熱をかき立てられたのはゲリだけだ」と語っている。また、ゲリの方も「ヒトラーの夫人になることを望んでいた」と周囲の人物たちが語っており、ふたりが叔父と姪の間柄を超えた関係であることは明らかだった。
しかし、ゲリは恋に奔放で、一方ヒトラーの方はゲリを束縛したがり、やがてふたりの間には亀裂が生じてしまう。そしてある日、叔父と姪は口論から喧嘩をし、それが原因となってか、ゲリは拳銃で自殺してしまう。
姪の死にショックを受けたヒトラーは、発作的に拳銃で自殺を図ったり、政治の世界から身を退きたいとほのめかしたり、突然行方不明になってゲリの墓でうずくまっているなどの奇行をしたり、当時のドイツ大統領ヒンデンブルクと会っても精神が錯乱して会話にならなかったりと、精神崩壊寸前のショックを受けてしまう。
しかし、その後、彼は姪の死から立ち直り、精力的に政治活動を再開する。そして時代を破滅と混乱へと導いていくことになるのだが、もしかしたらその影には姪の死が関係していたかもしれない。

フランツ・シューベルト 自分の曲が弾けずにキレる。

最近、世の中で迷惑となっているのが「キレる人」である。子どもから老人にいたるまで、ある時、ほんの些細な理由で「キレる」のである。「キレる」理由は本当にくだらないことが多く、「目の前を横切られた」とか、「携帯電話の操作を注意された」とか、「電車で席を譲らなかった」とか、そんな理由で突然「キレる」のである。お隣の韓国では「火病」といって割りとポピュラーな病のようだが、とにかく、「キレる人」は多い。しかし、それはいまに始まったことではなく、昔からいたのである。オーストリアを代表する作曲家・シューベルトも「キレる」人だった。
シューベルトといえば、「魔王」や「野バラ」など、数多くの名曲を世に残した作曲家であり、ベートーベンやモーツアルト並んで学校の音楽室に絵画が飾られている人物であり、誰でも一度は彼が作曲した音楽を耳にしたはずである。普段はとても内向的で、大人しい彼だが、親しい友人たちの間では「キレる」ことで有名だったそうだ。
その代表的なエピソードが、自分で作った曲があまりにも難しくて弾ききれず、癇癪を起こして「キレた」というエピソードである。当時、最先端の技巧を駆使し、「さすらい人幻想曲」という曲を完成させた彼は、それを自慢するために、友人たちを呼び、彼らの前で新曲を披露した。最初は芸術的なセンスでピアノを弾いていたシューベルトだが、クライマックスに差し掛かかった時、曲があまりにも難しすぎたため、何度となくミスを連発してしまったのだ。
これでシューベルトは「キレ」た。
彼は突然、ピアノを激しく殴打すると、演奏をやめ、勢いよく立ち上がったのである。
そして怒りに任せて楽譜を破くと、彼は大声で叫んだ。

「こんな曲は悪魔に弾かせてしまえ!」

・・・・・・完全に自分のせいである。
シューベルトはこの他の場面でも「キレる」ことが多々あったようで、他にも彼が「キレた」エピソードが数多く残されている。大人しい人ほど「キレる」と手に負えないといわれているが、彼はその典型であったようだ。
それでも、シューベルトが偉大な作曲家という事実に代わりはない。

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アニー・エドソン・テイラーの無謀なる挑戦

世の中には、危険を承知で無謀なる挑戦をする人が数多くいる。命綱なしで谷を綱渡りする人、自分の腹筋の強さを証明するために旧式カノン砲を腹部で受け止める者、アクロバティックなアクションスタントで車ごとダイブする人、そこに山があるからという理由だけで険しい山に挑む者など、あげればきりがない。彼女、アニー・エドソン・テイラーも、そんな無謀なる挑戦を企て、かつ、実行したひとりといえる。
1838年、アメリカ合衆国ニューヨーク州オーバーンに生まれた彼女は、決して特別な人生を送ってきたわけではなかった。12歳で父親を亡くしたが、学校で真面目に学業に携わり、優等学位を取得して教員となり、そこで出会った男性と結婚。子どもにも恵まれたが、すぐに夫と子どもを相次いで亡くしてしまう。各地を転々としながら教員を続け、ミシガン州のベイシティに自ら舞踏の学校を設立したりもした。成功と挫折、幸福と不幸が入り混じった、特筆すべきことはない平凡な人生である。そして相応の歳を取った彼女は、老後は安定した余生を送りたいと考えるようになった。
なんらおかしな点はない、平凡な人生である。
ところが、彼女は少しおかしかった。
なんと、安泰な余生を送るため、なにを考えたのか、樽に入ってナイアガラの滝からダイブすることを決意したのである。それも63歳の時。はっきり言って、意味がわからない。
ナイアガラの滝といえば、世界でも有名な観光スポットのひとつで、轟音が響き、凄まじい水量が流れ落ちるその絶景は、凄まじいのひと言に尽きる。世界遺産には登録されていないものの、世界三大瀑布のひとつであり、落ちれば死は免れない。なぜ彼女はこの滝から樽に詰まってダイブしようとしたのだろうか。
もちろん、彼女には彼女なりの理由があって、このような危険なパフォーマンスをすることによって注目を集め、穏やかな老後を送るための金銭を確保しようとしたのである。もちろん、死んでしまえばそれまでだが、彼女は実際に行動をおこした。人類史上初、樽に入ってナイアガラの滝からダイブしたのである。
結果はもちろん・・・・・・成功!
なんと、頭部に微傷を負ったものの、ほぼ無傷で生還したのである。その後、彼女が裕福な老後を送ったかは定かではないが、歴史に名を残し、83歳で天寿を全うしている。
彼女のほか、16人の無謀な挑戦者が樽に入ってナイアガラの滝からダイブし、11人が無事に生還を果たしているが、現在、滝下りは法律で禁止されているため、樽下りをするには命を落とす覚悟と犯罪者になる勇気が必要である。

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